【オーナー日記4】 天草旅行
- 更新日:2016年08月29日
- カテゴリ:オーナー日記4
4月2日、妻の誕生日に天草へ一泊旅行に出かけた。
前日の夕方、急に旅行に行こうと思い立ちPCでホテルを探したところ運よく宿泊の予約ができたので一泊旅行となった。妻の誕生日に旅行に出かけるのは結婚以來初めてのことなので良い記念となった。
4/2朝早くスタート。この日は朝から霧が発生し九州自動車道も霧のため視界が悪かったが幸い混雑せずにすいすいと進んだ。
~濃霧で視界が悪い九州自動車道~
阿蘇に移住してきて以來はじめて見る海(八代海またの名を不知火海)に「やはり海はいいな!」と心が躍る。不知火海に面した道の駅「不知火」で小休憩。この地がデコポンの発祥の地だそうだ。
車で出発してから約3時間ほどで天草に係る大橋を渡り天草の地へ。霧も晴れてそのまま天草市へ直行。最初に訪れたのが天草キリシタン館。
~天草キリシタン館と天草四郎像~
天草と言えば、天草四郎、島原天草の亂とキリシタン禁制後の隠れキリシタン。
(展示されている踏み絵(複製だが)を見て隠れキリシタンに関して私の心にすぐに浮かんだのはなぜか、長崎平戸を舞臺とした遠藤周作の「沈黙」であった。遠藤周作の沈黙を読む以前の隠れキリシタンについての知識は教科書上での知識でしかなかったのだ。)
晝食は天草市二江(ふたえ)で名物の「ウニ丼」を堪能。
午後から下天草の海岸線を下り、大江教會と隣接するロザリオ館、そして崎津教會を見學。その後さらに下ってハイヤの里牛深へ。
~大江教會~
~ロザリオ館~
ロザリオ館ではボランティアのガイドの方に詳しく説明していただいた。
1805年、天草西海岸の4つの村で村民の約半數に當たる約5200人が隠れキリシタンだということが発覚したが一人も犠牲者が出なかったという「心得違い」の逸話に関心。
?天草の亂のあと天領となってから100年以上も隠れキリシタンが続いていたということが明らかになれば、幕府にとってもまずいことになる、
?人口の半數近くを隠れキリシタンとして処刑すれば地域経済が成り立たなくなる
などの要因が重なりまた名代官の活躍もあり、
『昔から信じていたものをそのまま信じていたものでキリシタンと知っていたのではない』という『心得違い』によるお咎めで、信奉してきたものを提出すれば不問に付すとの裁決で全員が命を落とすことがなかったという。
(信奉していたものはすべて提出したはずなのに、それでもこの記念館に隠れキリシタンの信奉していたものが飾られているということは、隠れキリシタンの信仰のすごさを感じないわけにはいかなかった。)
また、ガイドの方の説明では、この辺の民家でしめ縄を飾っている家が見受けられるが、あれは、「ウチはキリシタンではない」という當時の意思表示が今も引き継がれているとのこと。
~漁港のそばに立つ崎津の教會をのぞむ~
~崎津教會~
崎津の漁村に立つ崎津教會が一番印象的であった。(この崎津集落も現在登録に向けて活動中の長崎?熊本のキリスト教関連遺産の「世界遺産」登録候補の一部に入っている。)
~牛深遠見山公園より大橋を望む~
苓北に戻って夕食は海の幸満載の料理。
明けて2日目はまず九州電力が経営する「天草オリーブ園」を見學。それから上天草の海岸線を一周し上天草市の天草四郎メモリアル館近くの海鮮レストランでで晝食(晝食も海鮮丼と食事は海の幸オンリーの旅行)
天草四郎メモリアル
一泊二日の楽しい旅であった。
※道の駅??? 當リゾートより約71km
※道の駅??? 當リゾートより約71km
※天草キリシタン館???當リゾートより約136km
※大江教會?ロザリオ館???當リゾートより約170km
※崎津教會???當リゾートより約166km
※天草オリーブ園???當リゾートより約140km
※天草四郎メモリアル??當リゾートより約98km
※上記寫真は平成28年4月撮影
※オーナー日記は當社の依頼により、オーナー様の日々の生活の情報をいただき、當社スタッフが更新しています。
※大江教會?ロザリオ館???當リゾートより約170km
※崎津教會???當リゾートより約166km
※天草オリーブ園???當リゾートより約140km
※天草四郎メモリアル??當リゾートより約98km
※上記寫真は平成28年4月撮影
※オーナー日記は當社の依頼により、オーナー様の日々の生活の情報をいただき、當社スタッフが更新しています。