奈良時代の官僚 大隅國 【配流編】
- 更新日:2018年06月20日
- カテゴリ:歴史
前編 豊後國【足立山編】では、
和気 清麻呂さまが、大隅國へ配流される前に、
宇佐八幡の神託に従い、企救郡の足立山霊泉で足を治した伝説と、
湯治療養中に、薬草処方などを里人に教えたことが感謝されて、
後世まで崇敬され神社にも祀られていることを ご紹介致しました。
今回の配流編では、霧島に殘る 清麻呂さま伝説の ご紹介です。
正義感が強い彼の真面目な人柄が、1000年の時を超えて蘇ります。
では、
北九州の足立山から南へ 直線で226kmの霧島にて、歴史調査!
霧島の和気神社に到~著~。

和気神社 鳥居 と 大絵馬 ( 2018年 3月撮影 )
ロイヤルシティ霧島妙見臺から約 5.2km(近道を発見!)
神社參道の鳥居の外に、石碑が 在ります。
義人 稲積翁
はて? 稲積(いなずみ)翁とは?
大分の稲積水中鍾乳洞との関連は?

義人 稲積翁之碑 (2018年 3月撮影)



以下、説明文を 丸寫し

『 稲積翁は、この地の里民に伝わる伝記に登場します。
伝説は、和気 清麻呂公が配流されて始まります。
不遇の公を支えた稲積翁は、公を崇敬し、身の貧苦を顧みず奉仕していました。
稲積の里には、長雨が続くと河伯の怒りを靜める大洪水を防ぐため、美しい娘を
人身御供とし中津川に沈める河伯祭が ありました。
その年の秋も長雨が続き、※河伯祭が祭事される事となりましたが、稲積翁は、
この祭りが巫女や悪役人らによる陰謀であることに気付き、公に打ち明けました。
祭りが始まり、川のほとりの祭場で祝詞が奏でられ、ついに娘が川に沈められよう
とする時、公と翁が現れ、娘を救い、悪役人を川に突き落としました。
陰謀の全てが里民の知る事にとなり、祭りはそれ以來無くなりました。
また公は、祭りの為に集められたお金で堤防を築き、貧しい人に農具を與えました。
その為、里民は公を里の恩人として深く尊敬しました。
この伝説は、清廉で慈悲深い公の人柄を良く伝えるものです。 』
※ 河伯 = 古代中國の神話に登場する「黃河の神」⇒ 川の神
< チリメン アイ >
?清麻呂公を支えた稲積翁も、悪を絶つ正義の人だったのですね???
?


河伯を カッパ(川の主?)と表記する伝説も見つけましたよ。

和気神社から東へ約 1.7km先の田んぼ脇で、
稲積翁の住居跡 を発見。

田んぼ脇にある 稲積翁の住居跡

住居跡石碑と看板
中津川は、寫真左の青色の道路標識から奧へ 約30mの山裾に流れています。
川の橋を渡ったT字道路付近に 水神様 が祀られています【末尾に寫真】
ロイヤルシティ霧島妙見臺から約 3.5km(上の寫真 2枚は 2017年 12月撮影)
住居跡の説明によりますと??

『 この土地の住人で、
和気 清麻呂公と協力して カッパ祭りの悪い習慣を禁絶し、
また、水利を興し かんがいを便にし、
住民に尊敬された人の遺徳を忍ぶために立てられた 』
霧島市教育委員會

鹿児島県のホームページで、カスタム検索すると、
【鹿児島県 じまんばな誌 2011 】 41話にカッパと記載。
(鹿児島県と霧島市は、河伯を カッパ と表記しています)

河伯祭場址碑の標識を発見!
(すわ、






伊邪那岐神社向かいの標識 左に行けば和気神社へ

河伯祭場址碑
(上記 2枚の寫真は2018年 3月撮影)
ロイヤルシティ霧島妙見臺から約 4㎞
< チリメン 考察 >
河伯祭場址の碑は、天降川(あもりかわ)の支流:中津川の中流に在ります。
この碑と稲積翁の住居跡との間は、川を挾んで約 300mの距離です。
稲積翁は、対岸で起こる『悪役人の陰謀』をみつけたのでしょうか?
中津川の中域を地図で見ますと、現在もすご~く蛇行しています。
蛇行する中津川は、昔から『大洪水』が多かったのでしょうか??
河伯祭場址碑の在る場所は、川岸から 80m以上も離れていますが、
1200年前は『川のほとり』に在ったのかも知れませんね???
更に約 3km下流に行けば、落差の大きな『犬飼の滝』が在ります。
この滝こそが、実は河伯祭の祭場だったりして??

犬飼の滝 坂本 龍馬らが新婚旅行で訪れた滝のひとつ(2018年 1月撮影)
ロイヤルシティ霧島妙見臺から約 5㎞
伝説では『その年の秋も長雨が続き??』と書いて有りました???
和気 清麻呂公の恩赦が 770年 9月ですから、
その年とは、前年の 769年と思われます。
それは、
里民と『堤防を築く』作業は農閑期で、769年の冬期と推定されます。
1000年の時を超えても、感謝や恩を忘れない大隅の人々。
崇敬の念を後世に伝える為に、石碑や神社を建てたのですね。
それにしても、
九州の北と南で、國は違っていても、
大昔の恩を忘れず、受け継がれることは感動の連続です。
そして、
『日本後記』にも殘る~清麻呂さまの人柄は素晴らしかった様です。

失腳當時でも、従五位の実力は本物です。

復職後の正三位の力量は実証済みであります。

(チリメンの聲)
文責:チリメン
「間違ってたら、ごめんなさい」

水神様 (江戸時代作)
水害が多かった中津川の中流域に 巖を削って祀られています
今も お供え花が盡きること無く、大切にされています( 2018年 1月撮影)
ロイヤルシティ霧島妙見臺から約 3.7km
水神様から下流側の左に行くと、和気神社や犬飼の滝に出ます。
逆に右の上流側に行くと、霧島市立中津川小學校や河伯祭の石碑に出ます。
反対側の東に約200m向かうと、稲積翁の居住跡碑があります。