【オーナー日記4】 冬の小國を訪れる 北里柴三郎記念館、 わいた溫泉郷 ゆけむり茶屋
- 更新日:2016年03月03日
- カテゴリ:オーナー日記4
小國は春夏の観光シーズンには多くの人でにぎわうのだろうが、
冬の小國にいってみようということで、ぶらっと小國町北里の
「北里柴三郎記念館」を訪ねた。更にその足でやや東にある、
わいた溫泉郷のゆけむり茶屋で晝食、その後溫泉で一風呂浴びて
ゆっくりしてきた。
北里柴三郎は、「破傷風菌」の純粋培養に初めて成功した細菌學者で、第1回ノーベル賞醫學賞の候補にもなった細菌學の世界的権威であまり
にも有名です。
その北里が熊本県阿蘇郡小國町の出身であることは今まで知らなかった。小國町に行こうと観光地図を広げたら、「北里柴三郎記念館」が
目に飛び込んできてさっそく行ってみようということになった。
記念館は小國町北里という地にあり、昔は小國郡北里村と呼ばれて
いた。北里家はその北里村の代々の莊屋であったそうだ。
北里柴三郎は8歳から2年間、父の姉の嫁ぎ先の橋本家に預けられ漢學者の
伯父から四書五経を教わったが、その2年間毎日廊下の雑巾がけをやり、廊下が
ピカピカとなったということで地元の小學校の道徳の教科書にもそのことが
載っているらしい。
北里は武士になることを志し熊本に出たが、藩校時習館が入寮後廃止となり、
熊本醫學校に入った。そこで恩師であるマンスフェルトに出會い、以來醫學を志し
た。その後東京醫學校に進學(1875年明治8年)醫學を學び、卒業後內務省衛生局
へ就職した。1885年にドイツに留學しコッホに師事し世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し一躍名聲を上げた。
先日某テレビ番組で北里柴三郎をテーマにした番組が放映され、
北里記念館に行ったばかりなのでとても親近感をもって番組を見た。
その番組でのテーマは「北里の選択」であった。
北里がドイツから帰國後も、伝染病研究は衛生行政と表裏一體である
べきとの考えから、內務省管轄國立伝染病研究所で研究を続けていが、
國の方針により文部省の管轄(東京大學の組織の一部)に移管することが決まると、部下をすべて新組織に移管したうえで自らは「野」に
下り新たな研究所(北里研究所=のちの北里大學)を設立することを
決意した。その決意を明らかにすると、100名近い部下のほとんどが北里について新研究所に移籍したという「北里の選択」と(それに従った
部下)というものであった。
北里は、大正5年に故郷の生家の隣に貴賓館と北里文庫を立てて小國町
に寄贈したが、落成式には家族を連れて列席したそうです。なお、北里
文庫の「北里」は北里柴三郎の北里ではなく「北里村」の北里からとっ
たものであると説明したそうだ。
~貴賓館~
わいた溫泉郷「ゆけむり茶屋」で晝食と溫泉
ところで溫泉の蒸気が噴出している わいた溫泉郷の一つ 丘の湯溫泉
がある。
町では蒸気を使った「地熱式木材乾燥施設」など天然の資源をフルに
利用したエコな溫泉郷だ。
ゆけむり茶屋で 窓の外は大量のゆけむり
~ゆけむり定食~
※北里柴三郎記念館???當リゾートから約36㎞
※ゆけむり茶屋???當リゾートより約43㎞
※上記寫真は一部をのぞき平成28年2月撮影
※オーナー日記は當社の依頼により、オーナー様の日々の生活の情報をいただき、當社スタッフが更新しています。